2年ゼミ第12回(2019年度4期生)

こんにちは。千倉班の茂木です。

7月も中盤に差し掛かりましたが、まだまだ梅雨の季節が続いていますね、、。気分もあまり上がらないお天気ですが、そんな事も言ってられず小説執筆の草稿完成予定日が着々と近づき焦りを感じています(笑)。

今回の授業では、前半で印刷・製版までの完成に向けて具体的なスケジュールの確認を行いました。今までぼんやりと描いていた完成のイメージが、期日までに原稿を仕上げる計画を立てたことでより一層現実味を帯びてきたように思います。

そして、先週に引き続き物語の構造について学習しました。物語には “速度” があり、描写に代表される「休止法」や台詞に代表される「情景法」などをどれかひとつではなく織り交ぜて使用することでより読みやすく読者を引き込む小説になることを学びました。実際に先週自らが書いた小説の1章分がどの方法で書かれているのか考察し改善点を見つけたことで、今後の小説執筆における指針ともなりました。

授業写真

残りの後半の時間では、それぞれのアウトラインを紹介しコメントしあうというグループワークを行いました。自分のアウトラインに友人からコメントをもらうことで、自分では気づかなかった新しい視点を発見したり理解のしづらい箇所を指摘してもらう有意義な時間となりました。

南房総ゼミの授業も残りわずかとなりましたが、何とか最後まで諦めずに完成に向けて頑張りたいと思います!(笑)最後までお読みいただきありがとうございました。

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2年ゼミ第11回(2019年度4期生)

こんにちは。二回目の登場、千倉班の根岸です。梅雨でじめじめとした天気ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は、毎朝湿気でまとまらない髪の毛と格闘しています笑

 

さて、今回のゼミでは、前半は前回の続きの作品の見取り図発表、後半は物語の構造についての学習をしました。

まずは作品の見取り図発表。前回時間の都合で発表できなかった4人が①インタビュー対象者の人生を別の事柄に例えるとしたら、どうなるか?②インタビュー対象者にとって南房総はどのような場所か。別の事柄に例えるとしたらどうなるか?③自分はインタビュー対象者の人生と南房総という場所を通じて、何を考えたいか。ということを発表しました。他の人の発表を聞いていると、独創的な例えがあったり、自分では思いつかないような考え方をしている人がいて、とても参考になりました。自分ももっと違う側面から対象者の方を考えられるかも、と思いました。

 

次に、物語の構造について、先週の続きでジェラール・ジュネットの『物語のディスクール』から語り・語り手と焦点化・焦点人物を学びました。

語りには、物語世界内の人物、つまり登場人物(=私)が物語を語る一人称の語り手、「あなた」という視点で語る二人称の語り手、「彼・彼女」などの三人称の視点で語る三人称の語り手という、三つの種類があります。

二人称の語りは、「あなた」に対して語り掛けるような語りなので特殊です。なので、一般的な小説では基本的に一人称の語り手と三人称の語り手が採用されています。

一人称の語りはあたたかく情緒的であり、臨場感があるというのが特徴で、三人称の語りは自由に、複数の人の視点から物語を描くことができるのが特徴です。

 

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物語世界の描かれ方として誰の視点を採用するか、という焦点化にも三つの種類があります。

焦点化ゼロは、いかなる視点も採用しませんが、あらゆるもの、人物の内面まで描写することができるので「神の視点」、「全知の語り手」と呼ばれています。

内的焦点化は、登場人物の視点から物語内容を喚起します。内的焦点化には、固定・不定・多元と三つの種類があるのですが、この説明は後程!

外的焦点化は、登場人物など対象の外面のみを描写します。心情は書かず、様子しか写さないというカメラの視点から語ることから「カメラ・アイ」とも言います。

 

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そして、語りと焦点化を組み合わせることで世の中にある小説がどのように物語世界を語っているかを説明できます!

・一人称の語り ×

「固定内的焦点化」 一人の人(主人公)がずっと語り手。物語内で語り手が変わらない。

「不定内的焦点化」 語り手=「私」が語るが、語り手が変わる。

「多元内的焦点化」 語り手が変わる。不定内的焦点化と違う点は、多元内的焦点化は一つの出来事をさまざまな人の視点から語るということで、物語内で時間が進まない。

・三人称の語り ×

「焦点化ゼロ」   客観的に語る。ex) 「彼はコートの襟を立てた」

「内的焦点化」   人物の心情などが入る。ex) 「真田はストーブがお気に入りだった」

「外的焦点化」   外面だけを描くため、ハードボイルド小説に用いられる。

どうでしょうか?なんとなくわかりましたか?普段何気なく読んでいる小説も語り方によってこのように分類できますね。

他にも、ウラジーミル・プロップによる物語の機能についても学習しました。彼は、長くなるのでざっくり言うと、物語には共通する筋がある、ということを主張しています。実際に、冒険譚、成長譚、シンデレラストーリーといった王道といわれる物語は共通した構造を持っています。このような話は、皆が知っているため受け入れられやすいですが、物語が平凡になってしまうといった危険があります。

私たちゼミ生は対象者の方の人生を小説にするので、対象者の方の人生をそのような「型」にはめてしまうことは少々危険なことであり、よくよく考えながら物語を作っていく必要があると考えさせられました。

 

ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。ブログを書くことで物語の構造への理解がさらに深まったような気がします(笑)あともうすこしで春学期も終了ですが、残りのゼミも頑張ります!

では!

 

 

 

 

2年ゼミ第10回(2019年度4期生)

こんにちは、白浜班の松本です。早くも今週からブログ担当は2週目に突入しました。

さて、第10回の今回は作品の見取り図発表でした。①インタビュー対象者さんの人生を別の事柄に例えるとしたら?②対象者さんにとって「南房総」はどのような場所か?③対象者さんの「人生」と「南房総」を通して、自分は何を考えたいか?というもの。難しいですね(;^ω^)。時間の都合上発表は前半4人だけでしたが、粘土や新幹線など様々な事柄に例えていました。これが後々どのように作品に影響を与えるのでしょうか?

後半はフランスの文学理論研究者、ジェラール・ジュネットの『物語のディスティール』について学びました。物語の「相」は何が語られているか(内容)、どのように語られているか(言説)、誰が/いつ/どこで語るか(行為)に分けられ、時系列順に並べるか因果関係を重視するか、何人称でどの視点から描くか、などというもの。昨年の情コミ入門で一度受けていても難しい内容です^_^;

そして次回の課題は「物語を1章分書いてくること」。いよいよ本格的な執筆活動に取り掛かります。忙しくなりそうですね。

2年ゼミ第9回(2019年度4期生)

初めまして。第9回ブログを担当させて頂きます。白浜班の土屋七海です。 

9回のゼミでは特別講師の伊藤豊さんから、合宿、取材を経て物語を創作するまでに意識したいことについて教えて頂きました。 

  伊藤さんは音楽プロデューサーやサウンドデザイナー、執筆活動、イベントの企画運営などで活躍されている方です。 

雑誌「SWITCH」の連載、「歌はどこだ」で、対象者の方にインタビューをし、それをもとに音楽家の方と写真家の方と3人で旅をし、そこで音楽家の方が見たことや思ってことを想像し、記事を執筆する活動をしていました。 

それは、私たちのゼミ活動にも通ずるところがあり、これから物語を創作する上で大切になることを沢山教えて頂きました。 

  

まず、伊藤さんが雑誌のインタビュー中やそれをもとに旅に行き、執筆をしたことについて詳しくお話を伺いました。 

度をする中で、対象者の芯となるものや、対象者自身が実はこういう人ではないか、ということを発見し、ひとつの物語を作っていく過程を聞き、私は、自身の対象者の方がどのような人なのか、その方にとって南房総はどのような存在なのか、今一度見つめ直し、深く掘り下げたいと思いました。 

  そのあと、伊藤さんが課題で制作した物語に対して、ゼミ生が1人ずつアドバイス。頂きました。 

「サンクスペテルブルク」という音楽を聴いて、そのタイトルと音楽のイメージから物語を作る、という課題はとても難しく、どのようなコメントを頂けるのかとてもドキドキしました。 

アドバイスの中で、時系列が混乱しないように書くこと、特に時代物などは調べずに当てずっぽうで書いてはいけないこと、目線や視点となる人称を変える時は、その気持ちが誰のものなのか、誰がわかることなのかに注意して書くこと、など、物語を書く上で注意すべきことを沢山教えて頂きました。 

  

最後に、今回の課題を通して、これから物語を創作する上で意識して欲しいことを教えて頂きました。 

物語が、対象者の方から得られたアイディアやその方のイメージ、南房総からあまりにも飛躍してしまうと、ただの自分語りな小説になってしまい、逆に対象者に近すぎると自分の物語ではなく、ただの伝記になってしまう、と伺い、物語を書くということが、改めてとても難しいことだと思いました。 

私はあまり想像力やアイディアが浮かばず、今回の課題もかなり苦戦したので、気合を入れて、物語創作に取り組みたいと、改めて気を引き締めました。 

物語を書く上で大切なことや、真髄となることを沢山教えて頂き、本当にありがとうございました。頑張ります。 

  

また、南房総市役所の根形様から、琵琶を送って頂きました。事務室の方にもおすそ分けをし、みんなで分け合いっこをしました。 

とても大きくて、甘くて、みずみずしてくて美味しかったです。また、琵琶を食べることができて大変嬉しかったです。 

根形様、とても美味しい琵琶を本当にありがとうございました! 

お読み頂きありがとうございました。それでは、また。 

2年ゼミ第8回(2019年度4期生)

こんにちは!

8回目のブログを担当します、館山班の佐名です。

お気づきでしょうか?そう、ホームページの画像が変わったことに!

今回のゼミは、この写真を選ぶコンテストから始まりました。各々が合宿の間に撮影した珠玉の一枚から、ゼミ生の投票により、決定しました。青空と海っていいですよね…。家からは毎日山しか見えない私にとっては、大変魅力的な一枚です!

 写真を選び終わった後は、2班ずつ合体して、それぞれのインタビュー対象者さんのインタビュー内容について、共有しました。

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自分は直接インタビューはしていなくても、懇親会等でお会いしたことのある方々について話を聞くと、自分がイメージしていた人物像と違っていることが多く、驚きの連続でした。

また、自分がインタビューをした方についても、違う班のメンバーから、「それって実はこういうことなのではないのか」と、自分の見方だけでは気づくことの出来なかったことを、たくさん指摘してもらうことが出来ました。

授業の最後には、今回話し合ったことをもとに、「自分はインタビュー対象者の方の〈人生〉と〈南房総〉という場所を通じて、何を考えたいか」ということを各自で考える時間がありました。

小説を書くにあたって何を考えたいか、というのは、その言葉だけ聞くと大き過ぎるテーマに聞こえます。しかし、今回せっかく出会うことの出来た、自分のインタビュー対象者の方に何を伝えたいか、その方々の人生を聞く中で、自分が何を考えたのか。一つ一つ丁寧に考えを積み重ねていきたいと思います。

余談ですが、次回までの宿題は、「課題曲を聞いて物語を書く」です。みんなが一体どのような物語を書いてくるのか、とても楽しみです。

 

2年ゼミ第7回(2019年度4期生)

はじめまして。
第7回目のゼミのブログを担当させていただきます、館山班の岩上京香です。

まずは合宿お疲れ様でした!お世話になった南房総の皆様、本当にありがとうございました。

今日は合宿を終えてからはじめてのゼミでした。疲れが残っているからか、合宿を無事終えた安心感からか、いつもよりゆったりとした雰囲気だったのは気のせいでしょうか。

今回はまず、インタビュー記事と物語(フィクションや小説)の違いについて確認しました。さらに、これから本格的に執筆に入っていくにあたり、「物語とは何か」という根本的な問いについての考えを深めました。

インタビュー記事と物語の違いについては、映画監督の是枝裕和さんのインタビュー記事「ぼくはなぜ物語を書くのか」を参考に学びました。

インタビュー記事というものは、インタビュー対象者の言葉に忠実で、表現媒体の中でも客観的なほうだとほとんどの人が考えます。
しかし、インタビュー記事は「私から見たあなた」しか描けないという点において、実は主観的な表現方法のようです。
一方、フィクションは登場人物である「私」の内面や神の視点からの世界を描くことができます。インタビュー記事は「私」が「あなた」になることはありませんが、フィクションは「私」が「あなた」になることができます。その意味で、フィクションには客観的な面があるようです。

逆説的な内容だったので新鮮ー!!と思いましたが、複雑でとても難しかったです。主観と客観という言葉をどういう意味で用いているのかがよく分かりませんでした。誰の口から語らせるかに重きを置いているのでしょうか…?でもとにかく、一人称や三人称で語る方法が、何か特別だということは頭に留めておきたいと思います。

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その後は、物語とは何かについて考えました。物語を一言で言うと?という課題が出され、班ごとに発表しました。

物語を定義から捉え直すのは意外と難しかったです。例えば、私たちの「人生」を物語と喩えても違和感ありません。そのように辞書的な意味だけでなく、広い意味での物語もきちんと含むように言葉を考えるのは、物語の本質について考えている感じがしました。
物語とは「始まりと終わりがあり、出来事の推移が語られる」ものだと確認し、なるほどと思いました。

最後に、物語が私たちに与える影響について学びました。これが一番興味深かったです。
私たちは多かれ少なかれ、今まで触れてきた物語を人生のモデルとして参照し、しばしばそれに囚われるという話です。

仲間とともに努力して、最終的に勝利を掴むという少年ジャンプの型、ごく普通の人がふとしたきっかけで夢のような幸せを手に入れるというシンデレラストーリーなど、物語には王道の型が存在します。それが形を変え、繰り返し繰り返し語られ、私たちに刷り込まれる。そしてその型に沿った人生こそが正解だと思ってしまう、ということです。

しかし、今の社会状況はそうしたモデルを叶えやすいとは決して言えません。王道の型と同じような展開が自分にも訪れることを信じ続けている誰かに対して、違う形の幸せもあることを提示してくれる物語が、必要なのではないかという先生の話に感動しました。

展開の華やかさはフィクションの醍醐味の1つでもあると思いますが、それが薄くなっても、読み物としての魅力を保てるような工夫をどのようにすればよいかが難しそうですが、「違う形の幸せ」を提示できる物語が自分なりに書けたら良いなと思いました。